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卑弥呼後、狗奴国

 投稿者:はる  投稿日:2011年 4月28日(木)13時50分25秒
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  過去ログの読みが浅いかもしれませんが、もう少し、野次馬を…。

井沢元彦説では、邪馬台国と狗奴国との240年代後半に起きた争いの最中の248年に皆既日食が起こり、太陽を崇める邪馬台国軍は混乱の中敗退し、その責任を卑弥呼が負わされ殺されたとしている。
解法者さんが書かれている通り、その後の両国がどうなったかは分からないし、実際、戦闘の有無でさえ想像するしかない。が、卑弥呼の死後、大きな墳墓が作られたというから、邪馬台国には、まだそれだけの余裕は有ったということが分かる。つまりその時点で邪馬台国は少なくとも滅んではいない。それとも、東遷して箸墓に作ったか?護国さんの説では、紀元前に神武東遷が行われ、大和には分家?が有ったとするから、再東遷は容易いかも。卑弥呼死後、男王ではまとまらず、13歳の女王台与を立てたというが、その混乱は再東遷を物語るのか。
また、女王国の南に位置する狗奴国は、邪馬台国に軍事的に劣らないことも想像できる。男子の王がおり、その長官は“狗古智卑狗”、きくちひこと読めば熊本県菊池郡、かわちひこと読めば大阪の河内か。近畿では、和歌山県熊野辺りと言われるが、匹敵するような古墳・遺跡は有るのか?一方、九州では、熊本など南九州に該当。宮崎には北九州よりも大きな前方後円墳があるらしいから、十分な勢力と言えるかもしれない。何より、九州北部と南部はルーツをたどるDNA的にも違いが有り、対立していた理由が明らか。

>従って、邪馬台国(後の筑紫君)が自分たちの神社を宇佐に移したわけで、…(中略)…豊前に九州の権力が移ったと考える方が正解なのです。
筑紫君が宗廟を宇佐に移したならば、元の高良大社の場所(現在地と同じ?)が怪しいってこともあるかもしれません。
 
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