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邪馬台国(64)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月27日(水)13時11分54秒
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   「邪馬台国」の東遷とは逆に「大和」の西征を言う者もいる。『三国志』魏志東夷伝弁辰条に「国に鉄を出し、韓・濊・倭みな従って之を取る。諸市は買うに皆鉄を用い、中国の銭を用いるが如し、また以って二郡(楽浪・帯方郡)に供給す」、『後漢書』東夷伝辰韓条に「国に鉄を出し、韓・濊・倭みな従って之を市〔あきない〕す」と記している。この記事の解釈は鉄の開発に楽浪郡(108年に設置)が関与し、そのため楽浪郡が独占していたとし、北九州の「ツクシ政権」は楽浪郡と結んで鉄の輸入の独占権を有していた。しかし、「後漢」の衰退による楽浪郡の権威の弱体化のためその後ろ盾をなくした「ツクシ政権」が弱体化し内紛を起こし、それに乗じて「ヤマト政権」が「キビ政権」と結んで2世紀末ころから「ツクシ政権」を制圧したのが「倭国大乱」である(『新版 魏志倭人伝』山尾幸久 194頁、『日本古代の国家形成』山尾幸久 大和書房 1986年6月5日 44頁)とする。
 こうした「大和」の西征はかなりの範囲で支持されている(「『倭国大乱』考」前沢輝政〔『考古学研究』135号 古代学研究会 1996年、「日本古代の国家形成論序説」都出比呂志〔『日本史研究』434号 日本史研究会 1991年、「加耶の鉄と倭王権についての歴史的パ-スペクティブ」鈴木靖民〔『日本古代国家の展開』上巻 434号 恩文閣出版 1995年、「邪馬台国の畿内・東海・関東」白石太一郎〔『邪馬台国時代の東日本』六興出版 1991年〕、白石太一郎-前掲書 59頁)。
 
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