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倭の五王(7)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)12時48分2秒
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  <4、衆夷66国>

「~その南に狗奴国あり、男子を王となす。その官に狗古智卑狗あり。女王に属せず」
①その八年、太守王キ官に至る。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭載斯烏越等を遣わして郡に訪り、相攻撃する状を説く。塞曹掾史張政等を遣わし、因って詔書・横幢を齎し、難升米に拝仮せしめ、檄を為りてこれを告喩す。 …・・(魏志倭人伝)

②女王国より東、海を渡ること千余里、拘奴国に至る。皆倭種なりといえども、女王に属せず。……・(後漢書)

さて、女王国に属さず、相攻撃しあった狗奴国(拘奴国)との結末はどうなったのでしょうか?魏志倭人伝・後漢書ともそれは記してありませんが、倭王武の上表文に、衆夷を服すること66国とありますから3世紀から5世紀にかけて倭国(邪馬壱国)が「鉄器と騎馬」という新しい戦法をもって狗奴国を吸収したのでしょう。邪馬壱国の南にあったのか(魏志倭人伝)、東にあったのか(後漢書)。隣接しあっていたことは間違いないでしょう。

その結果30国から66国へと支配権の拡張をなした。先に記したように卑弥呼・壱與の後裔が倭王武ですから。

倭王武は「自仮開府義同三司~」とありますから、倭国都督府に居していたはずです。
それではどこに都督府はあったか・・・・・たとえば”都府楼跡”。589年、南朝「陳」が隋によって滅びるまで九州にあった。

尚、私は狗奴国は四国の讃岐を中心とする地方であったと考えています。ですから、狗奴国ではなく、他の国々(例えば五島列島など)の可能性もあります。(投馬国は南九州であった、これかもしれない)
 
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