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倭の五王(6)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)12時43分27秒
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  『三国史記』では、新羅王は倭人であったという。この多婆那国の位置については諸説あるが、一部の左翼や韓国人を除くと日本列島に存在していたという点で共通している。つまり、新羅王は日本から来たのである。

それでは、何故百済だけが称号から除かれたのか?あれほど歴代の倭王が百済の軍事権を申請したにもかかわらず何故なのか?

其れは百済と倭国の間の関係が曖昧であったからであろう。倭国は百済を属国とみていたが、どうやら百済は対等であると中国に対して主張したようである。嘗ての李氏朝鮮の行動を見ると、之はそれほど不思議ではない。

好太王碑自体が現在中華人民共和国領にあることから考えても、高句麗を朝鮮の王国と考えるのも無理があり、満洲から朝鮮半島北部にかけての広い王国である。(時代によって版図は異なる)

同様に「倭」も朝鮮南部から九州北部の両方を支配していた王国である可能性が高い。

朝鮮の正規の史書「三国史記」や「三国遺事」によれば、高句麗、新羅、百済に対する倭の脅威は非常に大きく、国境で常に紛争を起こしている。

このことは、倭が朝鮮南部に根拠を持っていたと考えないと理解できない。

南朝皇帝は、倭王に新羅・任那の王位は認めたが、百済王位は認めない。それも道理で、南朝皇帝は百済王に百済の王位を認めていた。要するに、百済と日本の関係が曖昧であり、それぞれ別々に朝貢していたからこうなったのである。
 
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