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邪馬台国(56)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 9日(土)11時01分12秒
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   「邪馬台国」が九州にあったとする者も「大和」に巨大政権が誕生したことは否定できない。そこで「大和政権」は「邪馬台国」が東遷したものだとする(『「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚構を衝く!』安本美典 196頁、白鳥庫吉-前掲書、『日本国家の起源』井上光貞 岩波書店〔岩波新書[青版]380〕1960年4月18日 90頁、『大和朝廷-古代王権の成立-』上田正昭 講談社〔講談社学術文庫〕1995年8月10日 91頁)。これは「邪馬台国」が女王「台与」が266年に「晋」に遣使した後に忽然と歴史上から姿を消してしまったことにある。どこに行った? どうなった? その挙句に提唱されたのが「邪馬台国」の東遷である。そして、こうした考えは「神武東征」を土台にしている(『大和朝廷の起源』安本美典 勉誠出版 2005年7月20日 239頁)。「神武東征」は『古事記』にも『日本書紀』にも記述がある。しかし、時代は紀元前660年ころのことで「卑弥呼」の時代(170年~248年ころ)とは大きく異なる。「邪馬台国」が東遷したなどということは歴史書のどこにもないのである。そこで、「神武東征」の主役「神武天皇」を280年ころの人にして「卑弥呼」の時代との整合性を持たせているのであるが、『古事記』では「神武天皇」のあった地を「日向」としており、ここを「邪馬台国」としなければ辻褄が合わないのである。加えて九州にあったとされる「邪馬台国」は前記のとおり「鉄剣」・「鉄鏃」などの武器が豊富で、それで以って「大和」を征服したとするのであるが、「神武天皇」の東征にはほとんど戦争がないことである(「三・四世紀の日本列島」原島礼二〔『古墳はなぜつくられた』大和書房 1988年1月25日 156頁〕)。「邪馬台国」の東遷は史実に合致しないのである。この考えは<ご都合主義>の域を出ない。
「邪馬台国」があったとしても「大和朝廷」に滅亡させられたのかもしれないのである。
 
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