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郷土史を考えてみよう(3)

 投稿者:解法者  投稿日:2012年 3月29日(木)05時50分51秒
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   「上杉謙信」の養子「景勝」が慶長3年(1598年)に会津に転封になり、江戸時代
になると長岡藩主「堀 直寄」が新潟を飛び地として統治し、このころには新潟は信濃川を
境に下流に向かって右岸(東側-東新潟-新潟駅側)は「新発田藩」となった。以後、
新潟は左岸(西側-西新潟)を指すようになった。
 「堀 直寄」は新潟の商人の税を免除し、そのため新潟はますます栄えた。年間350
0艘もの「北前船」が出入りしたという。「砂丘の砂も黄金で出来ている」と言われた
くらいであった。街には縦横に堀が巡らされ、西堀、東堀もその一つで、かつては水が
綺麗で母は家からほど近い西堀で泳いだという。柳都と呼ばれて、とても風情のある
街だった。私の子供の頃はドブ川と化して悪臭が漂い、いつしか暗渠となってしまっ
た。これだけの「北前船」が来れば、花街ができる。新潟には月町、雪町、花町という
町名が残されている。新潟を代表する「古町」もその一つだと言われ、現在は「新潟
焼けても鍋茶屋焼けぬ」で有名な「鍋茶屋」や「行形亭」(ゆきなりてい)の料亭が
栄えているが、「鍋茶屋」はまだそのときには開業してない。
 なお、新潟は明治時代の5つ開港地の一つで、戦災に会わなかったこともあってか、
明治・大正時代の遺構(県会議事堂、税関など)がとても多い。行かれたらそれを巡
って見ていただきたい。
 
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