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.「源平合戦」とは何だったのか? ── 鎌倉幕府を乗っ取った平氏政権 

 投稿者:パトリオットメール  投稿日:2017年 3月31日(金)12時53分28秒
  清和源氏も3代で断絶しました。
源頼朝が身内に対して優しければ北条氏に乗っ取られることもなかったかもしれないてですね。
北条氏が平氏なので源平合戦は平氏がかったといえますね。

北条氏は桓武平氏の嫡流だとしたら、
揚羽蝶の紋所と平姓をなのらなかったのでしょうか。

http://ameblo.jp/happy-0824/?frm_id=v.mypage-ameblo--myblog--blog

 

一億総善人国家

 投稿者: 蕃 一春  投稿日:2017年 3月19日(日)22時42分13秒
   最近感じた事を言わせていただきます。

 教育勅語は、今の時代に必要なのであろう
か?
 現代の子供は乱れていない。
 校内暴力もない。
 不良や暴走族はもういない。
 右も左もいい子ばかりである。
 政府はこの国をどうしたいのか?
 これ以上いい子だらけになったら、日本は
滅ぶ。
 

稲田防衛相へ

 投稿者:笑氏  投稿日:2017年 3月18日(土)10時53分22秒
  陸自の南スーダン派遣部隊の日報問題だが、稲田防衛相には辞任の覚悟をしていただきたいと思う。
現場の隊員に、戦闘か衝突か小競り合いなのかを判断する定義も任務も無いのであって、“戦闘”と書かれていたからと言って、それがPKO派遣条件に該当するのかどうかを判断するのは“政治の役割”、と答弁すればいいものを。
日報を破棄したなどという詭弁を弄されては士気に関わる。
現場から正確で迅速な情報が上がらなくなったら、辞任では済まない結果をもたらすことが分からないのか。
何だか立派な組織が調査するとか言ってるが、んなもん一日で済ませるべし。
これがミッドウェー海戦中ならとっくに空母四隻撃沈されとる。
これ以上の大本営発表は聞きたくない。
毎夏、英霊や戦没者に何を誓い何を祈念していたのだ。
 

譲位論

 投稿者:笑氏  投稿日:2017年 3月 5日(日)15時41分57秒
  お久しぶりです。
この会議場もすっかり寂しくなってしまいましたね。
少し、責任を感じます。

早速ですが、昨夏、天皇陛下から生前退位の御意向が発せられた。
それ以降、譲位に向けて様々な意見が交わされている。
高齢であること、公務が激務であること、摂政ではなく天皇が行うべきとのお考えなど、様々な思いが伝えられ、一国民としてどのように向き合うべきかを考えてみた。
ナゼ、摂政ではいけないのか?
このことを一代限りとして特別措置法で対処するのか、皇室典範改正し恒久法とすべきなのか?
表向きの理由はさておき、本音を忖度してみる。

結論を言えば、核心は“東京五輪”と“改元”にあると考えます。
もし、三年半後に五輪が東京で行われることが無かったならば、現状の皇室典範通り“摂政”を立てて代行してもらうことで済んだでしょう。
しかしながら、天皇は、国家元首であると同時に神道における祭官の長でもある。
であるならば、誰よりも東京五輪の成功を願われているのではないでしょうか。
平成に入り、バブル崩壊に始まる不況、平成の大凶作、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災、その他にも風水害に地震災害が続き、近隣諸国との外交・安保問題に加え、東京五輪でも予算超過にエンブレムや会場選定でゴタゴタが続いた。
もちろん、天皇陛下の責任などとは誰も考えはしませんが、ただ一人、陛下御自身は神道の長として、古代のシャーマンの様な責任を負われようとしているのではないでしょうか。
その為に“改元”し、時代の空気を刷新したいと考えられたが、現行法規では天皇が代わる以外に改元ができない。
故の“譲位”ではないかと思う。
平成30年の区切りも丁度よいタイミングでもあるし、東京五輪を次の天皇の晴れ舞台にというお考えもあるかもしれない。
年途中での改元も、現代はものすごく社会的影響や負担が大きいことも気になされたかもしれない。
であるから、次の天皇以降で高齢になった時に五輪のようなビッグイベントが無い限りは、譲位の必要が無く摂政で構わないわけだから、譲位に関する恒久法など不要であり、特措法で速やかに対処するのが御意向に沿うのではないかと考えます。
むしろ、皇室典範に譲位の項目が加えられるようなことになれば、天変地異多発や健康状態がすぐれないなどの理由で、たとえお若くとも無言の圧力を感じる様になるかもしれず、次々と譲位が続くなど却って、皇室衰退の原因にもなりかねない。
皇室典範改定による恒久法制定を主張する者達には下心があると疑う必要がある。
もし、典範に加えるならば、譲位ではなく、摂政を立てたタイミングでの改元を可能とする項目ではないだろうか。

僭越、不敬かもしれないとは思いつつも、皇室の繁栄と存続を願う者の一人として投稿してみた。
 

ささやかな抗議

 投稿者: 蕃 一春  投稿日:2017年 1月19日(木)21時36分6秒
    はじめまして。私は蕃 一春と申します。
 早速ですが、この場をお借りして、私の自
作の詩をお送りします。

 舌の捩れたろくでなしが、世界帝国の大統
領となる。
 彼は気前がよい男だ。
 しかも、饒舌でユーモアがある。
 だからろくでなしでも多くの民衆に愛され
る。
 彼の人生にとって最高の4年間になるであ
ろう。
 

ある悪魔の国

 投稿者:???  投稿日:2017年 1月16日(月)21時46分7秒
   ろくでなしが、世界帝国の大統領となる。
 世界一ろくでなしの大統領は、世界一愛さ
れる大統領だ。
 世界一ろくでなしの大統領は、世界一気前
のよい大統領だ。
 彼は世界中を爆笑の渦に巻き込む一流のエ
ンターテイナーだ。
 

道州制へ

 投稿者:PWF本部  投稿日:2017年 1月16日(月)18時35分0秒
  一刻も早く、道州制成立と権限移行を進めないと、このままでは地方崩壊は目前である。  

賀春

 投稿者:竹下義朗メール  投稿日:2017年 1月 1日(日)11時51分19秒
  謹んで新春のお慶びを申し上げます。
本年も何卒宜敷お願い致します。

平成二十九年一月一日

竹下義朗拝
 

勲章

 投稿者:PWF  投稿日:2016年12月31日(土)22時46分9秒
  勲一等旭日桐花大綬章  

ご冥福をお祈りいたします

 投稿者:地獄のお茶の水博士 KYワカマツ  投稿日:2016年11月29日(火)18時18分18秒
  元プロレスラーの永源遙(えいげん・はるか、本名同じ)さんが28日に急死した。死因は不明。70歳だった。永源さんは1966年のプロレスデビューから6団体を渡り歩き、ファンから「名脇役」として愛された。くしくも全日本プロレス時代の後輩だった故ハル薗田さん(本名・薗田一治=享年31)の命日にまた一人、プロレス界を代表するバイプレーヤーが旅立った。

 関係者によると、永源さんは28日午前に東京・有明のノア事務所を訪れ、午後1時半過ぎに帰宅の途に就いたという。いつもと変わらず元気な様子で、親しい知人には食事の誘いの電話を入れていた。容体が急変したのは夕方のこと。都内にある自宅近くのサウナ店で突然倒れ、救急車で三鷹市内の病院に緊急搬送された。

 死因は不明でその後、遺体は成城警察署に送られた。プロレスリング・ノア関係者は「亡くなったのは事実ですが、詳細は分かりません」。永源さんは人一倍、健康には気を使っており、周囲には「年に2回は人間ドックを受けている」と公言していた。また、特に持病があったという話も聞かれなかった。

 大相撲では「永源」のしこ名で15歳の時に初土俵を踏み、1965年に廃業。プロレスラーに転向し、東京プロレスに入団。66年10月12日の木村政雄(故ラッシャー木村さん)戦(蔵前国技館)でデビューした。その後は日本プロレス、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレスと渡り歩き、2000年に旗揚げしたノアに移籍した。

 06年3月26日に故郷の石川・中能登町で引退試合を行った。引退後はノアの取締役や相談役などを務め、退社後も事務所や試合会場を訪れ、チケット販売や接客を手伝っていた。全日本時代には故大熊元司さん、渕正信らと「悪役商会」を結成し、故ジャイアント馬場さんが中心となった「ファミリー軍団」との対決で前座を盛り上げた。またピンクのタイツがトレードマークで、ツバ攻撃などのコミカルなファイトが持ち味だった。
 

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